野外訓練における班分けは、訓練当日に発表された。
退役間近の指導教官が適当に割り振ったというそれに、ヤンと同じ班で名前を呼ばれたは、思わず握った拳で小さくガッツポーズを取ったほどだ。
「えー、諸君らには行軍に必要な知識はすべて教えてある。だが時として不測の事態に陥ることもある。しかしながら戦場での出来事は、訓練場の比ではない。いかなるときも冷静な対処を心掛けることも軍人には必要とされる。その対処法をひねり出す訓練でもあると思い給え。知識は使わねば錆付くものだと心得るように」
雪の積もる山を前に、特に独創的でもない最後の注意をした教官は、班ごとに分かれて出発するようにと指示を出した。教官本人は別の道からジープで移動するので、山中では何が起こっても学生たちだけで対処するしかない。もしもに備えた緊急連絡用の無線も各班に一つは渡されているが、それはリタイアを意味するのでよほどのことがなければ使われることはない。
一年次生はここまで自主性に任された実習につくのは初めてで、その誰もが大なり小なり緊張に包まれていた。



眠れない夜の話(2)




班別への移動の途中で腕を掴まれて振り返ると、野外訓練用の軍服の幼馴染みが珍しく難しい顔をして立っていた。
「なに、ダスティ?班が分かれちゃったのは残念だったね。でもあんたはラップ先輩と一緒の班だから、十分ラッキーだよね」
「ヤン先輩のことなら、あれは冗談だろ。先輩に体力がないからって、チーム訓練であって、ペア訓練じゃないんだからそれほど問題じゃない。それよりお前、絡まれても耐えろよ。絶対に喧嘩を売るなよ」
「絡まれるって、誰に」
ヤンが後輩に絡むタイプの先輩ではないのは判っている。首を傾げたにアッテンボローは溜息をついた。
「ワイドボーンって先輩だ。ヤン先輩を目の敵にしてるから、先輩と仲がいいお前のこともきっと良くは思ってない。俺もときどき絡まれるけど、今回は一昼夜、ずーっと一緒だからな。キレるなよ」
「そんな簡単にキレないってー」
笑って手を振ったは、心配する幼馴染みから離れて所属する班の班長であるワイドボーンの元へ移動して、早速その忠告の難しさを痛感するはめになった。


班の全員が揃うと、ワイドボーンは開口一番にまず下級生を怒鳴りつけた。
「一年!遅いぞっ!野外訓練は持久力の他に、動作の機敏さも重要だ。せいぜい足手まといにならないよう、十分に我々三年次の言葉を聞くように!」
他の三年次生は苦笑して顔を見合わせているが、一年次生は揃って背筋を正して班長に注目する。
「ペースメーカーの先頭には私が立つ。最後尾はヤン、君に任せる。一年が脱落しないように注意して見ていてくれ」
「ああ、了解した」
それだけで終われば、だってワイドボーンに反感を覚えることはなかっただろう。
だがヤンを目の敵にしているというワイドボーンは、二つ返事で頷いたヤンに向かって、余計な一言を付け足した。
「もっとも、君が最初に脱落するかもしれないが。君を中ほどに配置して、その後ろから全員に遅れられては迷惑だからな」
あからさまな嫌味に、と同じ軍事技術工科の者は事情が判らず戸惑ったような様子を見せたが、アッテンボローでも知っている隔意の話に、下級生でも同じ戦略研究科の者はちらりとお互いを横目で見交わす。上級生組に至っては、またかと溜息をつくだけで、ヤン本人は慣れた様子で軽く肩をすくめると平然とした様子で軽く応えた。
「ああ、気をつけるとするよ」
軽くかわされたのがまた気に入らなかったのか、眉をひそめたワイドボーンは出発の合図をして歩き出しながら、これみよがしな溜息をつく。
「一年の面倒を見るだけでも大変なのに、同学年にも気を配らなければならないなんてな」
さも不幸だと言わんばかりの独り言に、ヤンよりのほう判りやすく眉を吊り上げた。
どんな事情があるのかは知らないが、わざわざ下級生、しかも他学科の下級生までいる前で中傷の言葉を吐くなんてどういう神経をしているのか。
先頭を行く班長の背中に思わず一歩踏み出しかけたは、先ほど幼馴染みに掴まれたのと同じように腕を引かれた。
「ダスティ!止めないでよっ……て」
怒鳴られてもいいから、よろめいた振りして後ろからタックルを食らわせてやるんだと勢いよく振り返ると、腕を掴んでいるのは幼馴染みではなく敬愛する先輩だった。
考えてみれば当たり前だ。ワイドボーン班は演習の最後尾になっているので、アッテンボローは既に自分の班に混じって別のルートから出発している。
、落ち着いて」
「先輩!だって……っ」
ヤンが人差し指を立てて声を落とすようにという動作をして前を伺い、の背中を叩いて歩き出す。
「さあ行こう、先は長いぞ」
既に班は出発していて、置いていかれないようにと歩き出したヤンに並んで、は不満げな声を押し殺して小声で話し掛ける。
「だってあれはあんまりじゃないですかっ」
「でも一理あるからねえ」
「先輩は達観しすぎです!」
「いや、別に達観はしてないよ。頭にきたからこそ突進されても軽く受けたんだ。明らかに売った喧嘩や嫌味は、受け流されるほど腹の立つことはないだろう?ああいう手合いは自分を軽視されたと思うことが、何より悔しいものさ」
にっこりと邪気のないような笑顔で気にするなと諭されて、は思わず足を止めて少し先の地面を見るようにして軽く目を伏せる。
「……先輩って、実は結構怖い人かも」


冬の山を越すという耐寒と登攀の訓練を兼ねる野外訓練場は、もちろん士官学校用というわけではなく、正規兵にも使用される山ではあったが、それでも危険の多いような厳しいコースではない……はずだった。
それなりの訓練は受けてきたとはいえ、野営のための装備を肩に担いでの山登りは厳しい。
行軍用の背嚢は、食料と水、野外での活動用の各種道具で総重量は二十キログラムにもなり、これを担いで歩くのは平坦な道でも相当疲れる。それでも訓練での武装は軍用ナイフだけなので、実戦のようにライフルとそのエネルギーパックがないだけ少しはましには違いない。
「こんなの士官に必要な訓練なのかよ」
息切れした小声で聞こえてくる愚痴に、流れ落ちる汗を拭いながらもまったく同感だった。
雪を踏みしめつつ進んでいるというのに、寒さなど少しも感じない。むしろ暑くて防寒着を脱ぎたいほどだ。
「毎年誰かが言う……というより大半の者が考えることだね」
最後尾を行くヤンがの心情を読み取ったように話してくれたが、が見る限り、一番そう思っていそうなのはヤンに思える。適材適所は必要だ、とはいつものヤンの弁だ。
だが士官学校を卒業した者すべてが最初から士官候補職に就けるわけではない。最初に陸戦小隊の指揮官を任されることもあるというし、まったく無駄だとは言い切れないのも事実だ。
もっとも教官たちに言わせると「軍人たるもの精神を鍛えるには肉体を鍛えねば」ということらしい。どの職に就こうと体力が必要なのはその通りだと、は気を取り直して肩に食い込む背嚢の紐を握り締めた。
急勾配の山道を、一定の距離で連なって歩く。前を歩く上級生は、下級生の呟きに弾む呼吸の合間に笑った。
「喋ってるとますます体力を使うぞ」
咎めているのではなく、不平は判るが忠告という口調だ。
先頭のワイドボーンも行軍前に厳しく指導したものの、愚痴ともいえる私語をきつく咎めることはなく、話すに任せている。
人前で同輩をけなしたりして器が小さい奴だと憤っていたが、下級生の様子を見ながらペースを調整したり、後に続く者が滑りにくいように足を掛けるのによいポイントを見つけると、判り易いよう足を踏みしめたりと、そのこと以外のワイドボーンは「出来る先輩」のようだった。
同級生達もワイドボーンのヤンへの嫌味には呆れている様子だったが、後ろから見ている限り嫌っているという様子もない。
どうやらワイドボーンが冷静ではないのは、ヤンに関することだけらしい。
「あからさまに嫌でダメな奴のほうが嫌いやすいのにな……」
ぶつぶつと口の中だけで呟いていたは、振り返ったワイドボーンと遠いながらも目が合った。途端に罵声が飛んでくる。
!ヤン!遅れているぞっ」
どこが!?
心の中で反論しながら、は声に出しては元気良く返事をする。
「はいっ、申し訳ありませんっ」
とその前の上級生との距離は、他の班員同士の距離とさほど変わりはない。
幼馴染みの忠告通り、目をつけられているのかもしれないと考えて、すぐに首を振った。
決め付けは視野を狭くする。何か、上から見ると気になるくらいの距離があったのかもしれないと思い直したところで、ワイドボーンの舌打ちが聞こえた。
「ヤンの他に一年次の女まで振り分けられるなんて、厄介者を押し付けられた」
わざわざ見回すまでもなく、班内の一年次の女とはしかない。
思わず握った拳を、アッパーカットをするように振り上げたら後ろでヤンが吹き出した。
「……しまった」
後ろにいるヤンからは丸見えの行動だった。嫌味を言われて、反論できない代わりのせめてもの動作が拳の振り上げだなんて、それをヤンに見られたかと思うと恥ずかしくて、穴があったら入りたい。
すぐ前の上級生がヤンの小さな笑い声に振り返り、は目を合わさないように上級生の足元に急いで視線を落とした。


一日目の中間地点で休憩となったときには、既に下級生は全員息も絶え絶えの様子になっていた。も例外ではない。荷物に肘を掛けて、雪のちらつく空をぼんやりと眺めていた。
上級生たちも疲れ切った様子ではあったが、下級生たちが地面に座り込んで水を飲んでいる間にも、指定ルートとして渡されている地図を覗き込んでこの先の行程を話し合っている。
「この七合目の補給用の小屋で今日は止まるべきじゃないか?」
「いや、野営装備は持っているのだから行けるところまで進むべきだ。野営準備の訓練にもなる」
「一年もいるんだ。無理は禁物だろう」
「一日目に楽をしても明日の行程が延びるだけだ。しかも時間内に到達できなければマイナス点がつくんだぞ?」
班長のワイドボーンを中心にした、行けるところまでは進むべきだという意見と、慎重論とが交わされているが、ヤンは話し合いに参加していない。
一応話し合いの輪には加わっているが、その疲労具合は下級生と変わらないように見える。口を開くよりも少しでも休憩したいのだろう。
「疲れた……俺もう、一歩も動きたくねえ……」
「行けるところまでって、九合目とか無茶言ってるよ。行けるわけないよ」
聞こえてくる上級生の話し合いに、下級生は下級生で固まって溜息を漏らす。
「寮に帰りたいなあ……監獄みたいなところだと思ってたけど、今ならありがたみがよく判る」
その呟きに、入学した翌月には脱走を実行した幼馴染みの無謀な行動を思い出して、は切れた息の合間に思わず笑みを零した。
、余裕だなー」
「そんなわけないって。もうバテバテ、疲労困憊」
荷物にもたれて軽く手を振っていると、後ろからワイドボーンの説教が飛んでくる。
!背嚢の荷物は兵士にとって生命線だぞ!訓練とはいえ粗雑に扱うなっ」
思わず眉が寄ったが、すぐに荷物から起き上がり、疲れた足で立ち上がると気をつけの態勢で反省の言葉を返す。
「申し訳ありませんっ」
すぐに話し合いに戻ったワイドボーンに、はどうにか舌打ちを堪えて地面に座った。
荷物にもたれていたのは一人ではないので、同級生はみんな一様に同情を向けてくれる。
「それにしても、お前なにかやったのか?完全に目をつけられてるだろ、あれ」
同じ科の同級生が横目で班長を見ながら声をひそめたが、は肩をすくめるしかない。
「知らないよ。ほぼ初対面なのに」
だが戦略研究科の同級生が軽く手を振って、声をひそめながら身を乗り出す。
のせいじゃないって。はヤン先輩と仲がいいだろ?だからだよ」
幼馴染みから聞いたのと同じ話だ。更に別の戦略研究科の者も身を乗り出した。
「違う班にいる、うちの科のアッテンボローもよく絡まれてるよ。あいつもヤン先輩に目を掛けてもらってるから」
「えらく先輩のこと嫌いなんだなあ。派閥かよ」
「派閥っていうか、一方的にって感じだけどな。ヤン先輩はそういうのに興味ない人だし」
上級生の目を気にしながら、頭を付き合わせるほどの距離で下級生の輪ができたのは自然の成り行きだろう。疲れ切っていてもゴシップには興味を惹かれるらしい。あるいは疲れ切っているからこそ、残りの距離を思うと気を紛らわせたいのかもしれない。
に至っては、自分にも関わってくる話なだけになおさら興味がわくのも当然だった。








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