「どうしたロイエンタール、鏡など覗いて」 「今更自分に見惚れているなどと言うなよ!」 会議が終わってすぐ立ち寄ったトイレでふと鏡を覗き込んでいると、まだ用を足していたはずのミッターマイヤーとビッテンフェルトが左右に展開して声をかけてきた。 「……今更見飽きたものに見惚れるか」 鏡から視線を外すと、手を洗っていた水を止めて優雅な仕種でハンカチを取り出しながらビッテンフェルトに冷笑を向ける。 「知っているかビッテンフェルト。地球の一地方になかなか興味深い格言があったそうだ。美人は三日で飽きるが、その逆は見飽きることがない、とな。卿は鏡を覗くことに飽きなどくるまい。羨ましいことだ」 「……うん?………あっ、失敬な奴だな!」 ミッターマイヤーが思わず吹き出したのは、ロイエンタールの嫌味が面白かったわけではなく、ビッテンフェルトの反応が鈍かったからだ。せめてそのまま気付かなければ、嫌味の不発にロイエンタールの方が肩透かしを食らったというのに。 「大体、俺は不細工というわけではないぞ!卿の容貌が特別整っているだけだろう!」 「そうか。ビッテンフェルト提督にまでお褒めいただき光栄だ」 「ぐぬぅ」 当たり前のように返されて、突きつけた指を空中に彷徨わせるビッテンフェルトに、ミッターマイヤーはますます笑う。 「おいよせ、ロイエンタール。いくらなんでもビッテンフェルトに悪いだろう」 「笑っている時点で卿も同罪だ」 軽く笑ってロイエンタールは二人より先にトイレを後にした。 鏡に見惚れていたのではない。 鏡に映った瞳を覗き込んでいたのだ。 その左目を。 同じ青い色の瞳だというのに、あの義理の妹とはまるで違う色にしか見ないと、ふと思ってしまっただけだ。 廊下の先からミッターマイヤーの幕僚であるバイエルラインが歩いて来て、ロイエンタールに気付くとさっと敬礼をする。 品行方正とはまるで言えないロイエンタールが、敬愛する上官と懇意であることが面白くないその青年は、普段からロイエンタールに対して隔意的はではあるがさすがに廊下ですれ違うだけで顔をしかめたりはしない。 だがさっさと通り過ぎてくれるはずのお互い好いてもいない上役にじっと顔を覗き込まれるとなると、眉間に皺が寄るのも致し方ないだろう。 「……小官の顔に何かついているでしょうか」 促されてもいないのに上官より先に口を開くことは憚られるが、あまりの居心地の悪さにバイエルラインが根を上げると、ロイエンタールはすぐに身を引いた。 「いや、別に」 またからかわれたのかと不愉快に染まるダークブルーの瞳に、僅かに失笑しながら何も教えることなく青年を捨て置いた。 の瞳は確かに深い色だが、バイエルラインよりももっと明るい。 他に青い瞳というと、キルヒアイスでは今度は明るすぎるし、ルッツは興奮すると藤色に変わる性質のせいかバイエルラインに近い沈むような色合いだったと記憶している。 ラインハルトの瞳がもっとも色合い的には近いかもしれないが、の目にあの輝くような強い光はない。 ラインハルトのあの目で射抜かれると、気分が高揚する。自らの有用性を示さなければという思いに駆られ、時に畏怖することすらある。 だが。 「お帰りなさいませ、お兄様」 一日の仕事を終えて帰宅すると、いつものように出迎えに駆けつけたにロイエンタールは僅かに微笑む。 「ああ、ご苦労。……」 「はい」 脱いだコートを執事に渡し軽く手招くと、少女は何の疑問もなく、むしろ嬉しそうにロイエンタールの側に近付く。 その細い顎に手を当てほぼ真上に振り仰がせても、瑠璃色の瞳にただ真っ直ぐに好意を乗せて見つめ返すだけだ。 あの苛烈な光を湛える蒼氷色の瞳に感じる昂揚感とは逆に、この瑠璃色に見つめられると落ち着きを感じる。 「……前言撤回だな」 「何がですか?」 目を瞬く義妹に、お前にではないと手を離して軍服を着替えるべく自室へ向かう。後ろではが意味も判らず首を傾げているだろう。 どれだけ美しくとも、見飽きぬものもあるのだと。 そしてあの瞳に映る己の姿もまた、見飽きることはなさそうだと僅かに自らを失笑した。 |
自主的課題 「その瞳に囚われて」 配布元 すでにシスコン気が出てきてませんでしょうか、お兄様?(^^;) シスコンなのか、別の感情なのかは判りませんが……。 もちろん、バイエルラインの瞳を覗き込んだのは嫌がらせです。 銀英伝短編へ お題ページへ |