「……寒いと思えば雪か」
目が覚めてすぐ、シャツを羽織ながら何気なしにカーテンを引いて外を眺めたロイエンタールは、ふと雪の積もる庭に視線を下げて、蒼白になって部屋を駆け出した。



主の剣幕に驚く使用人たちに見向きもせずに、シャツ一枚で上着も着ないまま廊下を駆けて玄関の扉を大きく開け庭に飛び出す。
自室の窓の下まで邸を迂回して駆けつけると、部屋から見えたものと同じ光景が広がっていた。
!」
真っ白な雪の上に黒いインクを零したように長い髪を散らばらせ、目を閉じて仰向けに倒れている少女の側まで駆けつけると、そのすぐ側に膝をついた。
息があるかと確認するまでもなく、ロイエンタールの声に反応してぱちりと目を開ける。
瑠璃色の瞳に血相を変えた己の顔が映ってほっと息を漏らす。
「お兄様……?」
「何をやっているんだ、お前は。一体どうしてこんなところに転がっている」
緋色の服にもうっすらと雪が積もっていて、雪の上に放り出されていた手を取ると、一体どれほどの時間こうやっていたのか、氷のように冷え切っていた。
「雪が、綺麗で」
ぼんやりと空を見上げる瞳に、舌打ちしてほっそりとした身体を抱き上げる。
「小さな子供でもあるまい。綺麗だからといってその上に寝るやつがあるか」
雪で濡れたを抱き上げて邸に戻ると、ロイエンタールの急な行動に何事かと玄関先まで出てきていた執事と使用人の少女が複雑そうな顔をした。その反応から、この奇行が初めてではないことが窺える。
「……湯の準備を。それから部屋を暖めておけ」
使用人の少女はすっと頭を下げるとすぐにの部屋の方へ走り去った。
「オスカー様」
濡れた少女を代わりに引き受けようと手を差し出した執事に、ロイエンタールは少女を抱き上げたまま肩を竦めて首を振った。
「いや、俺が運ぼう。お前まで濡れることはない」
「わたし、歩けます」
ぽつりと呟いたに、ロイエンタールは厳しい目を向けて部屋へと歩き出す。
「いいから大人しくしていろ。まったく、一体何の癖だ、これは」
「一番古い記憶です」
「……なに?」
は通り過ぎる廊下の窓から雪のちらつく外を見る。
「わたし、雪の中から見つけられたんです。三年前、孤児院の前で」
の部屋にたどり着くと、既に暖炉の火は入れてあり床に少女を細い身体を降ろすとじわりと水が染みこんで、絨毯の色を濃く変えた。
すぐに風呂へ入れと背中を押し出すと、少女は窓を見ながらぽつりと呟いた。
「わたしの記憶、雪の下に落としてしまったんじゃないかって……雪と一緒に、融けて消えてしまったんじゃないかって」
名前以外のすべてをなくしてしまった少女。
孤児院の前で雪に埋もれていたとなると、覚えていなくとも彼女の親がそこに捨てて行ったのだと考えるのが妥当だろう。あるいは、そんなもの既にいなかったのかもしれないが。
格別に優しくはしていないが、はロイエンタールによく懐いている。
お兄様と呼び、邪魔にならないように気をつけながらその側で時を過ごすことを好んでいる。
それでも。
「世話の焼ける奴だ」
ロイエンタールの溜息混じりの呟きに、冷えて青白い頬を僅かに染めて俯いた。
背中を押していた手を離し、袖の釦を外して肘まで捲くる。
「さっさと風呂に入れ。髪を洗ってやる」
それでも、ときどきどうしようもなく不安を覚えるのだろう。
初めから何もないことと、手にあったはずのものをなくすことは違う。
ましてや、は何をなくしたのかすらわからないのだから。
驚いたように振り返ったは、袖を捲くった義兄の姿を認めて微笑んで、バスルームへと身を翻す。
ロイエンタールは彼女が服を脱いでバスタブに浸かるまでを部屋で待ちながら、窓の外の雪を見た。
真っ白な雪に埋もれて眠ったように目を閉じた少女を見つけたときは、心臓が止まるかと思うほどの衝撃を受けた。
いつかあの雪が、彼女の記憶と同じく彼女自身をその中に埋めて連れ去ってしまわぬように。
湯に浸かって体温を取り戻させる。彼女は人間だから、雪のように融けたりはしない。
すべての記憶が融けて流れ出てしまったというのなら、ここにいる自分の記憶を詰めて固めて持ち続ければいい。
「雪になどくれてやるか」
あの娘は、すでにこの手のものなのだから。







自主的課題
「すべては白銀の下に眠る」
配布元



第6回拍手お礼の品です。
……拍手の「お礼」?と言いたくなるような話(^^;)
もっと明るい話にならないものかー。
お兄様の独占欲がどっちの方向に向うかドキドキです。



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