「キルヒアイスは優しいな」
ラインハルトは何かあると、癖のように隣にいるキルヒアイスの前髪を少し弄りながら、そう呟く。
だがキルヒアイス自身はそれを過大評価だ、と思う。
優しくなどはない。
いつだって自分の中で大切なのは傍にいるたった三人だけで、他の者を気にかける余裕なんて少しもない。
もしそれでも優しく見えるのなら、それは大切な人にそう見せたいと努力しているからで、それに成功しているだけのことなのではないか、と。
そしてときに思う。
それは、大切な人を欺いているのではないか、と。


「ジークは優しいよね」
「そんなことないよ」
行儀悪くソファーにうつ伏せて寝転んでいたは、何気なく言った一言を即座にそして思いの外強く否定されて、驚いたように目を瞬いている。
しまったと思っても遅い。
いつもなら柔らかく笑って、そうでもないよと受け流してしまうのに。
同じ日にラインハルトから同じことを告げられて、少し考え込んでしまったばっかりに、つい二度目の評価は強く否定してしまった。
「……ごめん、なんでもないんだ。気にしないで」
すぐにいつものように微笑むと、驚いていたは途端に眉を寄せて頬を膨らませ、むっとした表情を作る。
「どうせわたしは何もできないけどさ」
?」
「別に。何でもない」
不機嫌そうに起き上がってソファーから降りたに、怒らせたかと内心で肩を竦める。
「本当に、何でもないんだ。内緒にしているわけじゃないんだよ」
心の中で些細に動いた違和感を覚えただけだ。
本当に、何かあったというわけでもなく、言葉になることもない。
「そうでしょうとも。別にわたしも怒ってるわけじゃないよ」
のほうは実際に肩を竦めて見せて、途中で読むのを放棄して放り出していた傍らの本を掴んで部屋を出て行こうとする。
その様子はどう見ても怒っていて、キルヒアイスは困ったように通り過ぎた手を掴んだ。
……」
「あのね、今のわたしとジークは同じ」
「え?」
「怒ってないって言ってるのに、怒ってるように見えるんでしょ?わたしは、何でもないって言ってるジークが何でもあるように見えるの」
「そんなこと……」
の手を掴んだまま、もう片手で顔を覆う。そんな顔をしていただろうか。
だとしたら、確かに気になるだけに何でもないと言われるのは楽しくないに違いない。
「……ごめん」
「違うでしょ!そこは謝るところじゃないでしょう!?」
はキルヒアイスの手を振り切って、我慢ならないというように髪を掻き毟る。
ああ、せっかく綺麗に結い上げられていたのに……。
キルヒアイスがぼんやりとまったく関係ないことを考えているなどと知りもしないで、ぐちゃぐちゃになった髪のままで、が指を突きつけてきた。
「ジークの何でもないは、もう口癖でしょう!大事なのは意思の疎通を試みることなのに、『何でもない』で遮断されたらそれこそ何もなく終わっちゃうじゃない!そういうのは優しさじゃなくて、逆に残酷なの!」
残酷、と。
「ああ……そのほうがなんとなく、しっくりくる」
「え?」
ラインハルトとアンネローゼと
キルヒアイスが何を置いても大切にしたいと、守りたいと思う人はそれだけで、その他の周りに対して向ける目は、三人にとってどうなるかを考えた後のことになる。
そんな人間は、優しいというより残酷だと言うべきではないだろうか。だってその他大勢が多すぎる。
「僕は酷い人間だから」
「ジーク?」
「ラインハルト様とアンネローゼ様とだけいればいいんだ」
そう呟くキルヒアイスには首を傾げながら、その膝の上に乗り上げた。
「それって酷いの?」
膝の上に座って見上げてくる大切な少女の紫苑の瞳を覗き込む。そこには動揺も失望もなく、ただ不思議に思っている気持ちしか写っていない。
「だって僕は、ラインハルト様とアンネローゼ様とだけいればいいから」
のように家人のことを気にかけたり、アンネローゼのように周囲を労わったり、ラインハルトのように国の根底から覆すことで多くの者をも救うなどと、そんな考えは持てない。自分の、そして大切な人のことだけで精一杯だ。
こんなにも酷い人間なのに。
は考えるように額に人差し指を当てて首を捻った。
「それのどこか酷いの?」
「他の人がどうなっても、たちが守れたらそれでいいってことだから」
膝の上の少女をぎゅっと抱き締めると、背中に腕が回される。
「よく判んないけど、ジークは贅沢なんだね」
「贅沢?」
抱き締めた少女は、腕の中で居心地がいい位置を探してごそごそと動きながら、それで決まりだというように頷いている。
「だって、わたしたちを守るだけじゃ気が済まないから、納得できないんでしょう?手は二つしかないのに、大切なものは三つもあって、でももっと守りたいんだよ。だから守れないことを酷いと思うの。それって贅沢だよ」
ようやくここが落ち着くという場所を見つけたのか、本格的に腰を降ろしたは、まるで慰めるように掌で軽く背中を叩いてくる。
「そっか、そっか、ジークは優しいんじゃなくて、人一倍贅沢なんだ」
「贅沢……」
酷いのではなく、贅沢だ、と。
「そうだよ!ジークは贅沢だー!」
なるほど、そんな見方もあるのかと感心していると、は楽しそう強く抱き締め返してきた。





「利己的じゃ駄目ですか」
配布元:capriccio


第10回拍手お礼の品です。
大切な人が特別なのは当たり前ですよ〜
……と、原作(漫画版だったかな?)を読んでいたときに思ったこと。
キルヒアイスが優しくなかったら、誰か優しい人いるのか、この話(^^;)
ちょっとアンニュイなジークくんの話でした。

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