「移動といえばドアからドア。家から車、車から目的地。そんなことだから体力が落ちるんだ」 がそう下した自己評価の元、体力強化月間と名付けてしばらくはなるべく文明の利器に頼らないと決めたときから、不運は始まっていたのかもしれない。 夏の暑い日差しも和らぐ日暮れ頃、つばの広い白い帽子を被り、ライトグリーンのワンピースと同色のサンダルで散歩に出かけていたは、途中で見かけた公園にふらりと立ち寄った。 空が赤く染まる時刻ともなると、広い公園にも子供の姿はあまり見えない。閑散とした広場を横目に公園入り口正面の噴水に足を進める。 「あー、暑い。夕方って言ってもまだまだ暑いなー」 疲れたように呟く声には後悔が滲み出ている。 わざわざ散歩になんて出掛けるんじゃなかったと僅かに後悔しながら、少しでも涼を求めて噴水の正面に立った。 勢いよく空に向かって噴出した水が滴り落ちる音を聞くだけでも、少しは暑さを誤魔化せる。 この上で噴水に手を浸けてみようか。いっそサンダルを脱いで足を突っ込めば、更に気持ちがいいのではないだろうかと、良家の淑女ならまず考えないだろうことに本気で悩みながら噴水に身を乗り出した。 水面に帽子を被った姿が映った瞬間、後ろから足に衝撃が加わる。 「う……わっ……ちょっ……!」 突き飛ばされた!と思う間もなく、派手な水飛沫を上げて噴水に突っ込んだ。 ずぶ濡れの状態で両手を噴水について呆然としたのは一瞬で、は怒りに震えると勢いよく振り返る。 「この……どこのどいつだ!?」 視線の先には誰も居ない。 突き飛ばすだけ突き飛ばして逃げた子供の悪戯……ではなく。 左右にテンポよく動く影が視線の端を過ぎり、ゆっくりと目を下に落とした。 噴水の縁に顎を乗せた犬が、楽しそうにしっぽを左右に振ってをじっと見ている。 ダルマチアン種のかなりの老犬らしく、動きは鈍そうだ。 せめて目的のある外出だったのなら、運がなかった仕方がないと自分を慰められたのかもしれないが、この日、このときの目的といえば、ただの散歩だった。 帽子が噴水の流れに乗ってから離れるように流れていく。 「………勘弁してよ……」 噴水に座り込み、がくりと肩を落としたは恨みを込めて呟いた。 「飼い主はどこのどいつだ……」 深い溜息をついたの視界の端で、誰かの手が水面を流れていく帽子を拾う様子が見えた。 犬の飼い主かとしかめた顔を上げたは、その場で硬直する。 「……私の犬が迷惑をかけたようだ」 噴水の傍に立っていたのは半白の髪を持つ、感情のまったく見えない無表情の男。 「お………オーベルシュタイン……提督」 思わず声が引きつりもする。 どうしてこんなところで苦手な相手と対面するはめになるのだろう。 しかも頭から噴水に突っ込んで全身ずぶ濡れの状態で。 「……ん?私の……犬?」 は怪訝そうに噴水の傍らに立つ男と、噴水の縁に顎を乗せる犬を見比べた。 額に手を当てて少し考える。 「……閣下の愛犬、ですか?」 犬を飼うオーベルシュタインという図が、どうしても上手く想像できなかったのだ。 しかも目の前のオーベルシュタインは初めて見る私服だ。開襟シャツにクリーム色のカーディガン、灰色のスラックス。落ち着きすぎて、本来の年齢より年上に見えるなどとは、例えオーベルシュタイン相手といえど禁句だろう。 私服で、公園で、愛犬とくればきっと犬を散歩に連れて来たに違いない。 あのオーベルシュタインが。 似合わない……と心で呟くの内心を知ってか知らずか、オーベルシュタインは溜息と共に噴水から上がるように促してきた。 「………妙齢の娘が、いつまでそのような格好でいるつもりかな」 「誰の犬のせいだと……」 つい幼馴染みや、なにかと縁がある男に対するときのように文句を言いかけて、慌てて口を閉ざす。 目の前の男に口答えなんてしようものなら、きっと十倍にして返される。言葉ではなくても、視線ひとつなどで。 ぎゅっと口を引き結んだの鼻先に、クリーム色のカーディガンが差し出された。 非常にらしくもない配慮ではないか。 なにしろオーベルシュタインは初対面の折、転んだに手も貸さずにただ見下ろしていただけなのに。 目を瞬いて、カーディガンとそれを差し出す男を見比べていると、オーベルシュタインの感情の見えない目が細められる。 「その姿で町を歩くつもりだろうか。フロイライン・?」 「………お心遣い、どーも」 カーディガンを引っ手繰るようにしながら噴水から立ち上がったは、濡れて通しにくい手を袖に突っ込みながら、ふと見下ろしてようやく自分の姿に気がついた。 濡れて身体に張り付いたワンピースは僅かに透けていて、色はともかく下着の形がくっきりと浮かんでいる。 「ぬぎゃあああぁぁっ!」 年頃の娘とは思えない奇声を上げてしゃがみ込む。 オーベルシュタインはそんなものなど見たくもないとでも言うように、噴水に顎を乗せる愛犬の頭を撫でて、やはり無表情で被害者の準備が整うのを待っていた。 |
「犬と君と僕と」 配布元:capriccio 第9回拍手お礼の品です。 愛犬の散歩中のオーベルシュタインと遭遇。 彼が愛犬を拾うのはリップシュタット戦役の初期ですから、 少なくとも連載開始から2年以降経っているということで、正しく妙齢。 ……が、頑張れ〜(^^;) 銀英伝長編へ お題ページへ |