仲良きことは美しき哉 「エラムの奴っ〜!」 窓辺に腰掛け、弦の調子を見ようと竪琴を軽く爪弾いていたは既に聞き慣れた怒声に肩を竦めて振り返った。だが水晶笛の手入れをしていたファランギースは苦笑を零すだけで顔も上げない。 「アルフリード……また?」 「そう、また!『お前の料理なんてナルサス様のお口に合うはずないだろう』なんて言っちゃってさー!どこに目をつけてんのあいつ!ナルサスはちゃーんとあたしの料理だって食べてくれてるのにさ!」 侍童の少年と自称未来の妻に挟まれたアルスラーンの軍師殿は、今夜も二人の作った酒の肴に挟まれて、どちらにも均等に手を伸ばしたらしい。アルフリードの抱えた盆に載った料理の残りを見る限り、かなり頑張ったようだ。 ああ見えて、案外気苦労というか、相手の気持ちを大事にする人だな、とはそちらのほうこそ感心してしまう。 アルフリードもエラムも、それぞれ自分の作った分を食べればちょうど良いよい程度に作るので、傍からダリューンが軽く摘んだとしても必ず残る。何しろ杯を交わす相手がいることも想定されているのだから。 アルフリードは仕方なしに、残った料理は毎晩自分で片付けていた。 今日も床に盆を置くと不満を漏らしながら食べ始めて、は肩を竦める。 「そう毎晩、太るよ」 「だって毎晩捨てるわけにもいかないじゃないさ!そりゃナルサスは偉いんだし、食べ残しくらいしてもいいかもしれないけど、もったいないし、なにより食糧を粗末にするって目をナルサスに向けられても困るし」 貴族であり王太子の直参であるナルサスに対してそんな目を向ける相手がいるとは思えないが、そんなことはアルフリードだって判っているはずだ。こうも毎晩食材を捨てるのはもったいないというのがまさに本音なのだろうけれど、それにはまったくも同意見だ。 「だからも手伝ってくれたらいいのに!」 「きちんと夕食は取ったもの。これ以上食べたら太る。特に晩は」 「友達が太っていいっての!?見捨てないでよー!」 「作るのをやめるか、エラムとちゃんと協議してお互いに量を減らせばいいのに」 文句のつけようのない正論を述べたのに、鋭い目で睨みつけられた。それがもっとも効率的だということは、アルフリードだって承知しているのだから当然かもしれない。承知していて、退けないのだ。 「だったらあいつに作るの辞めるように言ってよ!あたしの話を聞きもしないのはあいつの方なんだし!」 「言うだけは言ってみたよ」 指先で弦を弾きながら軽く言うと、それこそ意外だったらしくアルフリードは食べる手を止めて顔を上げた。 「うそ!はあいつの味方だと思ってた」 「なにそれ。そんなわけないでしょ。わたしは中立なの」 「ちゅ、中立かあー」 アルフリードはがっくりと肩を落としてうな垂れた。 「もー、冷たーい。友達なのにー」 「そう、アルフリードは友達。でもエラムも友達。だから中立」 「女の友情を大事にしようよ、女の友情を!」 「じゃあ女の友情から一言」 竪琴を爪弾く手を止めて、窓枠に掛けていた足を降ろして身体ごとアルフリードに向き直る。 その改まった様子に、アルフリードも背を伸ばしてほんの少し居住まいを正す。その友人に向かって、は世の真理を語った。 「毎晩そんなに食べて飲んでたら、ナルサス様が太るよ」 それはもう、丸々と、丸々とね。ナルサス様が酒樽みたいになっちゃったらどうする? そう続けたに、目が点になっていたアルフリードは拳を握り締めた。 「絶対にやだ!ナルサスだったらそんな姿でも好きでいる自信はあるけど、それとこれとは別だよっ!ナルサスが酒樽になるのはいやだー!」 悲鳴を上げるアルフリードと、涼しい顔で再び竪琴を爪弾き始めたの傍で、ファランギースは声を抑えて肩を震わせていた。 「エラムの奴ーっ!」 翌日、やはり同じ叫びを上げて部屋に戻ってきたアルフリードに、髪の手入れをしていたは溜息を零した。 「アルフリード……昨日、ナルサス様が太るのは嫌だと言ってなかった?」 どうして今日も肴の残りがあるのだと脱力するに、アルフリードは憤慨しながらいつもの定位置で部屋に下げてきた料理を平らげ始める。 「エラムだよ!昨日が言ってたことを伝えて、作る量を加減しようって持ちかけたら、あいつなんて言ったと思う!?」 エラムが折れなかったのか……。 はアルフリードに対してだけは常に頑なな少年を思って額を押さえた。 に正解を考える間を与えたのか、単に喉が渇いたのか、葡萄酒をあおったアルフリードは、空になったグラスを盆に叩き付けた。 「ナルサス様が酒や料理を過ごされて、少しくらい大柄になられたからってなんだって言うんだ。それでナルサス様の素晴らしい知略が曇ったりお人柄が変わったりするわけでもなし、お前って外見でしかナルサス様を判断しないんだな」 せいぜい嫌味ったらしいエラムの口真似をしたアルフリードは、震える手でグラスを握り締めた。 「あたしがいつ、ナルサスが太ったら結婚しないなんていった!?いつ、太ったナルサスなら嫌いになるって言ったのさ!?ナルサスのためを思って言ったのに!」 「アルフリード……」 「あいつが作るのに、あたしだけやめるわけにはいかないだろ!?絶対に負けなんて認めるもんか!」 が落ち着いてと興奮する友人を手で制するようにしていると、この喧騒の中でもまったく動じることなく寝台で今日の祈りを捧げていたファランギースが、神に祈る詞を終えてアルフリードを振り返る。 「アルフリード。おぬしもエラムも、ナルサス卿に料理を振舞うのはナルサス卿のためではないのか?」 「当たり前じゃないか。それ以外の何があるのさ」 急に何を言い出すのかと料理を口にしながらアルフリードが不機嫌に返すと、ファランギースは眉を下げて苦笑する。 「ナルサス卿を想っての行動で、ナルサス卿を困らせてどうする。事を勝ち負けで断ぜず、ナルサス卿のために退いてはどうか」 アルフリードは手を止めてファランギースを真っ直ぐに見る。しばらく黙っていたのだが、やがて諦めたように肩を落とした。 「……わかったよ……ファランギースの言う通りだ」 こくりと素直に頷いたアルフリードに、ファランギースは微笑みを見せて寝台から足を降ろす。 「さて、ではこの夜食も今日が最後というわけじゃな。一晩くらい、も一緒にどうじゃ」 鮮やかな説得で意地になっているアルフリードを陥落させたファランギースに感心していたは、寄せられた提案ににっこりと笑って頷く。 「手についた香油を落としてくるね」 一緒に食べようという同室者二人に、説得に従うことに照れくさそうにしていたアルフリードも快活に笑った。 風景画を書きに出るというナルサスのために、朝早くから馬の支度に中庭を突っ切っていたエラムは、普段からの喧嘩相手とばったりと出くわした。 朝からついていないと顔をしかめたエラムに対して、剣を腰に佩いた動き易い服で身体の筋を解すように伸びをしていたアルフリードはふっと笑った。 「おはよう、エラム」 「……おはよう」 切っ掛けがないときにまで喧嘩をすることもない。挨拶くらいは普通に返すものだがそれにしてもアルフリードの何かが吹っ切れたような態度は違和感がある。 「……どうしたんだ、お前?」 「また!年上にお前はないだろ、お前は」 いつものように怒ってみせたアルフリードは、しかしすぐにまた笑顔になって城を指差す。 「今日からあたしは夕食後のナルサスの夜食は作らないことにしたから、あんたに任せたよ」 「どうしたんだ、急に」 本来なら喜ばしいことのはずなのに、あまりにも突然の宣言につい問い返してしまう。 「ファランギースに言われたんだ。エラムと張り合って、ナルサスを困らせたいのかってね。あたしは年上だからね、あんたに譲ってやることにしたんだよ」 そんなことを言われると、アルフリードに諦めさせたと勝ち誇れるはずもない。エラムはむっと口を閉ざして、空を見上げ、城を見て、それからアルフリードを見る。 そうして、ようやく決意を固めたところで後ろから声を掛けられた。 「エラム?」 「わっ」 「あ、来た来た。遅いよ!」 相変わらず足音をさせないの接近は、前からでなければ心臓に悪い。 手を振るアルフリードに軽く謝りながら駆け寄ってきたが、ようやくエラムの視界に入った。 「エラムも一緒にするの?」 「まさか!たまたま通りかかったから、ナルサスの酒の肴のことを伝えただけだよ」 「するって、何を?」 訳の判らない話に首を傾げると、アルフリードはを見た。説明は任せるということだろう。 「組み手をね、しようかって。昨日は夜食を食べちゃったし、ちょっとは動いておかないとね」 「はそんなに太ってないじゃないか」 「ちょっと!それってあたしは太ってるって言いたいのかい!?」 「ありがとう。でも、体型には気をつけておかないと、あっという間に踊れなくなっちゃうから」 旅芸人をしていたときとは、ただでさえ食糧事情が違う。そう笑ったに、エラムはそんなものかと返して、ナルサスのための馬の準備をしに厩舎へ足を向ける。 「どうする?剣でやり合う?それとも徒手?」 「どっちでもいいけど、剣は後にしようか」 とてもではないが年頃の娘二人の会話とは思えない話を聞いていたエラムは迷った末に、足を止めて振り返る。 「おい!」 声を掛けただけなので、もアルフリードも同時に顔を向けてきた。用があるのは、珍しくアルフリードの方だ。 「ナルサス様のお夜食、明日はお前が作ってもいいぞ」 今日は自分が作るから、明日はアルフリードが。 そう言ってみると、アルフリードは思っても見ない話だったのか目を丸めて、はにっこりと微笑む。 その笑顔が、まるでいい子だと誉めているもののように見えて、エラムはかっと頬を染めるとすぐに踵を返した。 「作る気がないなら、別に作らなくていい。元々僕の勤めだ」 「作る、やるよ、明日はあたしの番!」 後ろから慌てたように告げられたことに、片手を上げて了解を示したエラムは、赤い顔のままで植え込みを回り込んだ。 そこにアルスラーンとダリューンとキシュワードが揃っていたのだから堪らない。 アルスラーンは嬉しそうに、キシュワードは興味深そうに、そしてダリューンはまるでナルサスをからかうときのもののように、それぞれ笑顔。 「アルフリードと仲良くなったのか?」 よいことだ、と頷く素直なアルスラーンはまだいい。 「ナルサス卿は幸せ者だな」 「うむ、仲良きことはよいことだ。そうか、仲良くなったのか」 大人二人は、明らかに少年をからかいにきている。 「……ダリューン様……キシュワード様……」 赤くなっていた顔を更に赤く染めて、恨めしげな声を上げたエラムの向こうから、ここでエラムが足止めをくらい、王子と万騎長が二人もいるなんて知りもしない少女達の華やかな声が聞こえる。 「それにしてもさー、太る太るって、ほんとが言ったら嫌味だよ。あんたちっとも肉ないし」 「そんなことないよ。これでも人知れず努力して絞ってるの!」 それぞれ、組み手の前に身体を解しているらしき声色だったが、突然の悲鳴が上がった。 「ひゃっ!ちょっとアルフリード!」 「はちょっと肉つけたほうがいいって!確かにお腹は細っそいけど、あんた胸も全然ないし!」 「ぜ……!し、失礼なっ!……って、ちょ……さ、触らないでよっ」 「だってほらあ、あたしの手で覆えちゃうよ、。踊り子って色気もいるだろ?細身もいいけど、胸も欲しくない?」 「だ……だからって変な……触り方!……アルフリード!手を放してってばっ」 「胸を大きくするのに、揉むって効くらしいよ?」 「いーらーなーいーっ」 目一杯叫ぶ声には色気も素っ気もないのだが、会話の内容が少年達には少々居たたまれない。 思わずそれぞれ俯いたエラムとアルスラーンの傍で、大人二人は顎を撫でながら微笑ましく笑い合う。 「可愛らしいものだ」 「うむ、まったく」 それは少女達と、俯いた少年達の両方に向けた言葉だったが、俯いた少年達がそれと気づくことはなかった。 「でもさ、ファランギースが羨ましくない?」 「………それは思う」 |
女性陣の会話、の部分でファランギースの絡みがちょっと少なかったのが残念(^^;) 男ばっかり集団はおまけ的つもりだったんですが、この辺りはお約束で(笑) |