年の明ける夜、エクバターナの街は一日中眠らない。
この日ばかりは表通りも裏通りも関係なく、一晩中かがり火が燃えて大人たちの浮かれ騒ぐ声が消えることはない。
毎年のこととはいえ、寝台の中に潜り込んで目を閉じていたアルスラーンは溜息をついて起き上がった。
去年までなら外の喧騒など関係なくぐっすりと眠りに就いていたはずなのに、今年は眠れるような気がしない。
足をぶら下げるよう揺らしながら寝台に座って、窓から入る街中を彩る灯りの赤い色を眺めた。
夜が明ければ、実父と実母に慶賀を奏上するために、乳母に伴われて宮廷に行くことになっている。だが、それだけだ。
父も母も年の始めの行事に忙しいと乳母に言われ、毎年それだけで王宮を後にする。
アルスラーンはたった一言の挨拶だけを述べに夜が明けきる前から起き出して、正装をして王宮へ上がらなくてはいけないのだ。
堅苦しく息苦しい、あの石の壁の中へ行くことを考えると憂鬱になる。実の父と母に会えると言われても、触れ合うでもなく距離を空けたままで挨拶をするだけのどこに魅力を感じることができるだろう。
そんなことのためにあの場所へ行くくらいなら、街のお祭騒ぎの中を友人たちと走り回るほうがよほど楽しいのに。
「……そういえば、は今日は一晩中仕事だって言ってたな」
年越しの客を相手に酒場は掻き入れ時なのだと、息を弾ませていきいきとしていた少女を思い出して、アルスラーンはまた溜息をついた。
それなら、王宮へ行く憂鬱な役目を終えてから街に繰り出しても、彼女と遊べることはないだろう。その頃、彼女はきっとまだ仕事か、あるいは夢の中だ。
ぼんやり赤く染まる窓硝子を眺めていたアルスラーンは、喧騒に紛れて微かな音を聞いた。
はっと息を飲んで拾い上げた音に集中すると、少しずつ喧騒から切り離されてはっきりとした音色が聞き取れる。
裸足で寝台から飛び降りて窓に走り寄ると、通りのかがり火を背にして闇に溶け込むことなく笛を構えて音を紡ぐ親しい少女の姿が見えた。


年が暮れる、年が明ける。
それは最高の稼ぎ時だと養父母に気合いを入れられて、その心積もりで一年の最後の夜に挑んでいたは、父親と一緒に通りで客寄せをするために店を出た。
まだ小さな娘とその父親の共演に興をそそられた客を店に誘導したり、大声で勧誘を続けていると、興奮で今がまるで昼間かと思うくらいにまったく眠くもならない。
そうやって引っ張った客の幾人かは、酔った上機嫌から芸妓の少女に年明けに備えた祝い
の菓子を分けてくれる。
両手に抱えるほどの菓子を貰った娘に、養父は笑って一度店に戻って置いておいでと薦めた。
それに従って一度大通りから外れたは、火照った身体に冷たい風を感じて、ふと興奮が少し覚めて仲の良い少年のことを思い出した。
年末の忙しい時期、少しの時間だけ会うことができたアルは、年明け早々につまらないことがあるのだと、あまり元気がなかった。
まだ興奮が覚めやらぬが両手に抱えた菓子を見下ろして、逡巡したのは一瞬ですらなかっただろう。
このお菓子を分けてあげたら、少しはあの少年が元気になってくれるのではないかと想像すると、それはとても良い思いつきに感じた。
夜も遅いから訪ねることはできないけれど、戸口にアルへと判るように置いておけばいいと店に戻る前に寄り道に走る。
通りから一本だけ中へ入ったアルの家の周辺は、人の行き交う大通りほどのかがり火はないけれど、それでも年明けを控えて浮かれた空気が漂っていることに変わりはない。
それなら少しくらいはいいだろうと、は客引きのために持ってきていた笛を取り出して口を当てた。
こんな時間だからアルは寝ているだろうと判っていて、それでも彼のために一曲だけでも吹いていこうと、そう思っただけだ。
だから短いその曲が終わる頃にアルの家の戸口が開いて、中から覗いた晴れ渡った夜空の色の瞳と目が合ったときは、驚いて飛び上がってしまった。
「アル!?」
!」
もしかして自分の笛がうるさくて起こしてしまったのだろうかと、あたふたと笛を握り締めて申し訳ない気分になったのだが、家から走り出てきたアルは満面の笑顔だ。
「どうしたの?今日はずっとお仕事だって言ってたのに」
ここまで走ってきたと同じように息を弾ませて駆け寄ったアルの表情は、かがり火の影響なのか上気したように頬が仄かに染まっている。
「あの、あの、あのね……ひょっとして、わたしが起こしちゃった?」
おずおずと遠慮がちに訊ねると、アルは笑顔で首を振る。
「ううん、眠れなかったんだ。でもきっと眠っていても、の笛が聞こえて起きたなら嬉しかったよ。もうお仕事は終わったの?」
起きていたのだと判って、ようやくほっと安心したは、アルのようににこにこと笑顔になって首を振った。
「まだ途中だよ。でもね、お客さんから一杯お菓子を貰ったから、アルに分けてあげたいなって思って持って来たの。アルの好きなお菓子もあったんだよ」
笛を吹くために脇に置いていた菓子の山から上の半分を取り上げてアルに差し出すと、想像したとおりに嬉しそうに笑ってくれた。
「ありがとう、!一緒に……」
笑顔で受け取ったアルは、だが何かを言いかけた途端にその笑顔が曇った。
「忙しいよね……。ううん、なんでもないんだ。ありがとう、嬉しいよ」
せっかくアルが喜んでくれたのに、また少し寂しそうな様子になって、は一生懸命にアルが途中まで言おうとしていた言葉を考えてみた。
一緒に。
それから、忙しいよね、と。
しばらく首を傾げていたは、手を叩いて傍にあったどこかの家の戸口に続く石段に腰掛けて、自分の隣を手で叩いた。
「あのね、ひとつだけ。お菓子をひとつだけなら、食べてもいいと思うんだ。ずっと走り回って疲れちゃった。休憩だって大事だよって父さんが言ってたもん。アルも一緒に食べない?」
にっこりと笑って提案すると、アルも再び元気な笑顔を取り戻しての横に腰掛ける。
「ぼく、夜にお菓子って食べたことないな」
「怒られるの?じゃあ内緒ね。ふたりだけの秘密だよ。こっそり食べちゃおう!」


歳の暮れる騒がしい夜、通りから少しだけ外れた住宅通りの一角。
小さな少年と少女が楽しそうに、けれど密やかに押し殺した笑みをくすくすと漏らしながら、こっそりと菓子を摘んで語り合ったことは、二人だけが知っている小さな小さな秘密。






明けましておめでとうございます!
少々遅れましたが、年賀ご挨拶SSです。
立太子された直後の半年以外は街で暮らしていた、
という王子様の年始を捏造してみました。
小さな頃は、微笑ましい小さな秘密が掛け替えのない
もののように感じることもあったんじゃないかと。
お持ち帰り自由ですので、よろしければお持ちくださいませv